皆様方に
よき出会いがありますように
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皆様方に
よき出会いがありますように
自 お
分 金
を は
豊 そ
か の
に 使
も い
貧 方
し に
く よ
も っ
す て
る
【解説】
お金というものは、
その扱いがなかなか難しいものです。
お金は大昔から流通の媒体として
人間社会で重宝されてきて、
私達が社会生活を営む上で是非必要で、
有り難いものであることは言うまでもありません。
しかし、お金を使う
人の心や思いで貴くもなれば卑しくもなる、ということに
改めて気付かねばなりません。
つまり、お金は人が上手に使ってこそ、
その素晴らしい可能性を発揮できるのであり、
人がお金に振り回されているようでは、
お金自体が醜いものになってしまうのです。
「お金さえあればなんでもできる」
などという発想は、まさに、
人がお金に縛られてしまっている姿だと言えるでしょう。
お金本来の働きは、
あくまでも社会に流通してこそ、
その真価が発揮されます。
それが
「とても大事だ」
と思うことであれば、
他人のため、社会のため、
自分のための区別なく、
惜しみなく出せる心を養うことが、
自分も人も豊かになっていける第一歩なのです。
向 言
上 い
へ 訳
の が
道 う
が ま
閉 く
ざ な
さ る
れ ほ
て ど
い
く
【解説】
失敗をしたり、
人の期待を裏切った時、
素直に自分の非を認めるのは勇気のいることです。
「自分は悪くない」
と、ついその原因を他に求め、言い訳をしたくなります。
言い訳は他人に対してだけではありません。
「あれをしよう、これはやめよう」
と強く決意しながら実行できなかった時、
「こんな状況だから仕方がなかったのだ」
などと理由付けするのは、
自分自身に対する言い訳です。
自分の心の中のことですから、
誰に咎められることもなく、
簡単に言い訳が通りますが、この時、
向上の芽を自ら摘んでしまっていることに気付かねばなりません。
自分に非がある以上、
失敗は素直に認め、他人には謝罪を、
自分には反省をして、
その辛さをバネによりよい生き方を目指すのが
本当の知恵というものです。
目先の楽を求める気持ちが
言い訳をさせるのだと知り、それらを捨て、
勇気を持って自分の至らなさに直面し、
一歩ずつ向上の道を歩んで行こうではありませんか。
ま 伸
る び
人 る
は 人
気 は
付 終
か 始
ぬ 努
所 力
で し
怠 行
け き
て 詰
い
る
【解説】
終始努力を続けることは、
言うは易く、行うのはなかなか難しいものです。
たゆまず努力を続けていくには、根気や勤勉さだけでなく、
目標を設定することや
目的意識を持つことがより重要になってきます。
どうしても達成したい、
獲得したいというものがあり、
それに向かって進みたい、
近付きたいという気持ちが強ければ強いほど、
努力の度合いや継続性が高くなっていくのは当然です。
試行錯誤や失敗を繰り返しながらも、あきらめず、
粘り強く努力を続けていれば、
その道程でさまざまなことを学習し、確実に蓄積していけるのですから、
自分の力は着実に伸びていきます。
反対に、
いくら目標や目的を決めても、
達成しようとする気持ちが弱ければ、努力に真剣さが加わらず、
勝手な理由をつけて怠けようとし、また、
少しの困難や失敗にもすぐにくじけ、
結局行き詰まってしまいます。
努力を続けることこそ、
自分を伸ばす条件だと強く認識していきたいものです。
何 安
で 逸
も だ
な け
い を
こ 望
と ん
が で
苦 い
に る
な と
っ
て
く
る
【解説】
ここで言う
「安逸」とは
「仕事もしないでぶらぶらと遊んで暮らすこと」
という意味です。
例えば、普段から車での移動ばかりでは、
少しの距離を歩くことや、バスや電車に乗ることさえも
大義でおっくうになってきます。
また、炊事や洗濯も、
家電製品がどんどん便利になって、今までとは
比べものにならないぐらい楽な仕事になっているはずですが、
働くことの嫌いな主婦であれば、
やはり面倒に思ったり苦になってしまうようです。
仕事もしないで安閑と遊び暮らすことばかりを望んでいると、
普通の人には
何でもない容易な仕事でさえも、
その人にとっては苦痛となり、不平不満の種ともなります。
私達は、何か自分でできる仕事をすることによって
世のため人のために貢献し、
そこに人生の意義を見出さなければなりません。
自分のすべきことは
進んで喜んで
やり遂げていくという気概を持って、
生き生きとした、意義のある充実した人生にしたいものです。
礼 人
儀 を
と 大
な 切
り に
社 思
会 う
秩 心
序 の
の 現
基 わ
と れ
な が
る
【解説】
例えば、自分の好きなテレビ番組を見ていたり、
読書や趣味に興じている時、
人に話しかけられることがあります。
そんな時、
つい、いい加減な姿勢や態度で応対し、
相手の気分を害した経験は何度かあるのではないでしょうか。
「せっかくくつろいでいたのに」
などという事情も良く分かりますが、
そんな時、もし、
自分の時間を中断し、話しかけられた人に
向き直って話を聞こうとする体勢をとってみたら、
その人の自分に対する印象は
随分違ったものになると思います。
私達は、年齢や上下関係を問わず、
自分の立場や働きを人から認められ、大切にされると、
それを自分に対する礼儀とも受け取り、
喜びも倍加します。
そして自分も、
その理解してくれた相手を大切にし、
礼儀を尽くそうと、相手のために
ますます力を発揮しようとするものです。
こういったところに、
私達の家庭や社会を幸福にし、繁栄に導く
秩序の基というものが築かれていくのではないでしょうか。
自 不
分 満
は に
鍛 思
え え
ら る
れ 身
磨 近
か な
れ 人
て か
い ら
く
【解説】
家族や親しい知人、上司や同僚など、
密接な関係にある身近な人達に対しても、
私達はしばしば不平不満を抱くことがあります。
その原因は大抵、
「自分の行動を注意された」とか
「思うようにしてくれない」といった、
自分に対する相手の言動や態度です。
しかし、これはあくまでも自分を中心にして周囲の人を見るからであり、
言わば、自分の我がままとも言えるでしょう。
自分のことを一番よく知っているのは、実は
自分ではなく他人であることを忘れてはなりません。
普段から接している身近な人達こそ、
自分の性格や癖をよく知っていて、
身近であるがゆえに遠慮なく苦言を呈し、
率直に意見を述べ、
忠告や叱責をしてくれるのです。
自分を映す鏡ともいえる
身近な人達からの貴重な助言を無駄にせず、
いたずらに不満を抱いたり
反発することなく素直に受け入れ、
じっくりと反省していくことにより、
人間としてますます鍛えられ、磨かれていくものと確信致します。
協 人
調 の
へ 意
の 見
第 を
一 ま
歩 ず
で 聞
あ く
る こ
と
が
【解説】
「自分の言う事を人が聞いてくれない」
という状態は、確かに悩みであり苦痛には違いありませんが、
その原因が自分の心の姿勢にもあることに気付かなければなりません。
すなわち、
聞き入れない相手を責める気持ちが強く、
自分の意見に固執したり、一方的に押し付けるという、
独りよがりで協調性に欠ける自分ではなかったか、
と反省してみることが必要です。
人間関係を大切にしながら社会生活を営んでいくには、
人との真の協調が不可欠であり、
「自分の意見を聞いて欲しい」
と思うなら、
自分の思いは後回しにして、まず、
人の言う事を聞くことから始めなければなりません。
人の言う事を聞いてみて、
初めて人の気持ちや考えも理解できるわけで、
最初から分かっていると思い込むのは、
人間の傲慢であり、錯覚に過ぎないのです。
ただ妥協し譲るというのではなく、
人の立場や気持ちを思いやり、
人を大切に思い尊ぶ心を持って人に接して欲しいものです。
あ 過
っ 保
て 護
育 は
て 親
る の
子 自
供 己
を 満
我 足
儘 で
に
す
る
【解説】
「獅子の子落とし」という諺があります。
獅子が自分の子をわざと谷底に落とし、
自力で這い上がってきた子だけを育てる、という言い伝えから、
わが子にあえて厳しい試練を与え、たくましく育てることを
例えたものです。
私たちは、いつまでも子供を親の庇護の下に置きたがり、
子供の言いなりになったり、子供が当然自分でできるはずのことでも、
わざわざ手を貸したりしてはいないでしょうか。
また、わずかの苦労さえ避けさせて、
ただ子供を可愛さ一途に育てることを
親の愛情であるかのように勘違いしていないでしょうか。
親がこのような育て方をすれば、子供は次第に我儘になり、
いつまでも独立心や自主自立の精神が備わらず、
依頼心ばかりが強くなって、将来、
世の荒波に耐えていけない人間に育ってしまうことは間違いありません。
過保護に育てることは、ただの親の自己満足であり、
子供にとっては、実は迷惑至極であることに
ぜひ気付いて欲しいものです。
行 思
動 い
の 悩
中 む
か よ
ら り
途 行
が っ
開 て
け み
る よ
【解説】
私達は、自分に都合の良いことや
気の向いたことなら喜んで行動に移しますが、
都合の悪いことや不得手なことになると
憂い心や警戒心が起こり、
容易に行動に踏み切れないものです。
それが「必ずしなければならないこと」なら、
なおさら思い悩むことになります。
それは、「どうせうまくいかないだろう」
「失敗したらどれだけ損をするのか・・・」
などと悪い結果ばかりを想像するからでしょう。
しかし、そういった弱気で消極的な姿勢であれば、
ますます良い結果は遠のいていくばかりです。
なすべきことは、自ら断固とした決意で
実行に踏み切らなければなりません。
その気概の中から、
思っても見なかった方法や解決策が生まれたり、
周囲からの思わぬ協力が得られ、
心配していたことが杞憂に終わるどころか、
予想もしない展開で順調に物事が運んでいくこともあるのです。
全力を傾けた行動によってこそ、
新たな道が開かれていくものと気付いて欲しいものです。