7年に1度湧(わ)く水
ゥチの田舎の水窪(みさくぼ)町で、
7年に1度、こつ然と現れると伝えられてる
『幻の池』がある。
遠州七不思議の一つにあたるこの池は、
10日ほどで水が引けてしまう。
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最近の湧水(わきみず)年月日
昭和29年
昭和36年
昭和43年
昭和50年8月26日
昭和57年8月11日
平成1年9月8日
平成10年10月2日
平成17年?
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池の平(山の頂)は、標高650m約820mの尾根から
西に下った場所にあたり、その標高からみて、地下水が
湧き上がるとは考えにくい。
それに水窪周辺の地層は古くて硬く、水が染み込みにくい
所が多く、降った雨はすぐに斜面を流れ落ちていく。
ただ、夏になると表土は草に覆われ、保水力が高まることから
夏に雨水がジワジワと池ノ平に集まるのではともいわれています。
※「池の平」までは、水窪町入口登山口から、徒歩で約2時間
の距離があり、道は狭く滑りやすいので、注意が必要です。
【伝説によれば、佐倉が池の竜神が信州諏訪湖に行く途中、
池の平で休息していくのだとも、諏訪明神が休息するものだとも言われている。
また、この池の緑にあるところに、石で作られた「おかわ地蔵」が建っている】
時は永禄12年(1569)、高根城主民部少輔貞益が信州遠山土佐守と、
中部水巻城主奥山美濃守の連合軍に攻められ、
武運なく敗北し、城は兵火により焼かれ落城。
おかわ御前当歳の子を抱き、三歳になる子を背負い、城下へ出たものの
敵兵の探索が厳しく、まともな道を歩くことができない。
そこで城のすぐ下を流れている水窪川へ飛び込んだ。
おかわ御前は幾度も押し流れそうになりながら、川の中頃まで進んだものの
そこからは身ひとつでも危険なのに、2人の子供を連れてなどとても渡れるものでは
なく、断腸の思いで、抱いていた赤子を淵に投げ捨て、水に浸り必死で対岸にたどり着く。
(赤子を投げ捨てた淵は、今も赤子淵(あかんぶち)と呼ばれている)。
しゃにむに山の中に駆け込み、池の平まで辿り着くと、疲れきって一歩も歩けない。。
子供が疲れと恐怖のために泣き出してしまったために発見されてしまう。
振り下ろす白刃の下に、おかわ御前の血しぶきは、辺りの芽を真っ赤に染めて散った。
それにより、この辺りの芽は いまだに赤い斑点を残しているといわれている。
峠からは、高根城がすぐ足の下に見える。
おかわ御前の供養碑は、別の方向に向けておいても、いつの間にか必ず高根城の
方を向いているという。
もしかしたら、池の平の湧く水は泣き続けている、おかわ御膳の無念の涙が
溜まりに溜まって、7年に一度溢れ出てくるかもしれない。
それとも、竜神はおかわ御前の化身であろうか。
そんな思いにかけられてしまうような悲劇な話が伝えられている。